山田牧場

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山田牧場物語

第一章 草創期

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山田牧場の歴史は明治時代に溯ります。創始者は石川県出身の山田豊次郎であります。
明治維新以後の欧米列強の影響を受けた文明開化の一端で、
国内の一部で酪農業が明治の初期の段階に始まりました。

それ以後欧米の食文化に影響を受けた日本人の食生活も時代と共に変化をし、
欧米の食文化の中心である酪農業の日本国内への土着化が進んだのが明治の後期でございました。
山田豊次郎は「牧童」(酪農事業を牧場から請け負う人)として、
全国の牧場に修行に回ったそうであります。

その全国行脚で培った豊次郎の酪農技術は、群を 抜いている技術といわれており、
特に乳牛の飼育に関しては当時の酪農業界でも一目置かれ、かなりの有名人であったと伝え聞いています。

 

第二章 山田牧場を創業

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大正時代も山田豊次郎は日本全国を牧童として渡り歩いていましたが、
昭和に入り戦前の京都市百万遍の地で、遂に山田牧場を創業しました。
同時に近隣の京都大学農学部の牛の世話を委託され、
その縁で京都大学教授の助言を得て、
当時超高級品だった乳酸菌飲料や飲用牛乳などの商品開発をすることが出来、
京都市内のお客様を中心に宅配にて販売しておりました。

 

第三章 戦後修学院に移転、第二世代へ

戦後京都市内では急速に宅地化が進行し、元々近くに住宅などが多くなかった京都市百万遍の地も急速に発展してまいりました。

このような状況の中、将来の環境問題の配慮等もあり、山田牧場は京都市の外れの左京区修学院に移転することになりました。
修学院に移転の頃より山田牧場の経営は豊次郎の4人の子息に引き継がれつつあり、時代は第二世代へ進む事となりました。
修学院は長男照康と四男喜八が引き継ぎ、次男の忠治は伏見にて、三男の昭二は北区紫竹にてそれぞれ牧場を開業することとなったのです。

 

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第四章 第二世代の業態変化、市街地での酪農業

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第二世代へ牧場の経営権が完全に移って、三男の昭二は牧場経営の傍ら、
昭和42年11月京都一乗寺にて牛乳販売業にも進出しました。
また翌年の昭和43年には北区紫竹にて明治牛乳の特約店の牛乳販売にも乗り出すこととなるのです。その頃戦後復興を成し遂げ高度成長期入った日本は、新たな住宅問題や環境問題を抱え始めておりました。
牧場経営も例外ではなく、市街地で牧場の経営をすること自体に問題が出始めておりました。
そこで長男照康が中心となり、昭和48年に山田牧場の牧場経営部門を統合し、
新天地を求め滋賀県の信楽へ牧場を移転することになりました。
牛乳の販売は三男昭二が北区紫竹にて明治乳業の商品を中心に販売のみを行うこととなりました。

 

第五章 第三世代とオリジナルブランド開発

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信楽へ移転した山田牧場はその後、長男照康の子息、
現在の信楽牧場長である山田康高が継承しました。

北区紫竹の明治牛乳販売の経営は、
三男昭二の子息である現在(株)山田牧場代表取締役山田雅哉が継承することになったのです。
明治牛乳の販売は順調でありましたが、山田雅哉はお客様から
「山田牧場という屋号なのになぜ大手メーカーの牛乳を販売しているの?」とか、
「牧場で飲むよ うな本物の牛乳が飲みたい。おたく『牧場』って名前が付いているのになぜそれを持ってこられないの?」
というご質問やご意見を多数賜るようになりました。

そこで信楽牧場長の山田康高に相談、
京都市内の牛乳販売店と信楽の牧場とで山田牧場創業の原点に立ち返り、
二人三脚で山田牧場創設以来100年の時を超えて山田牧場オリジナルブランド牛乳の開発に着手しました。
多くの苦労や様々な問題点を克服し、
遂に三世代の時空を超えノウハウを結集した山田牧場オリジナルブランド牛乳が開発されました。
同時に平成元年株式会社山田牧場として法人に改組し、山田雅哉が代表に就任しました。

 

第六章 山田牧場の原点「本物の牛乳を売る」に挑戦

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山田牧場オリジナルブランド牛乳は、「ノンホモゲナイズ低温度長時間保持殺菌」(LTLT)という製法で、牛から搾ったそのままの状態に日本で最も近い、市販可能な牛乳であります。
日本で通常行われている「ホモゲナイズ超高温度短時間殺菌」(UHT)製法と違う商品であり、日本人が日本国内のスーパーマーケットなどで普通に買える牛乳と呼ばれる飲み物と、山田牧場オリジナルブランド牛乳とは明らかに違う商品なのです。

 

しかし酪農先進国である欧米でいう「牛乳」とは、山田牧場オリジナルブランド牛乳のLTLT製法を指し、日本で通常に市販されている牛乳は、「UHT牛乳」という別名称で、缶詰などの長期保存食扱いで売られているのです。
従って山田牧場が考える「牛乳」と、一般の日本人が勘違いしている「牛乳」とは明らかな差があり、ここにオリジナルブランド牛乳を販売する困難さがありました。

例えば当初販売の中心であったスーパーマーケットのオープンケースなどは、実は商品温度が15度以下に下がらないために、本来の良好な品質の保持が難しいのです。
しかも商品知識に乏しい当時の量販店の担当者は、本物の牛乳の扱いが全くわからず、良好な商品状態を保持できないのです。しかも本物の牛乳が生ものであるということが理解できないでいました。

そのような状態を打開するために山田牧場は販売の中心を商品温度管理や日付管理が自分たちでしっかり行うことが出来、直接お客様の顔が見える宅配専門という販売手法に主軸を切り替えることといたしました。

 

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第七章 「本物の牛乳」の時代が到来

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  バブル崩壊で「一億総中流」「飽食の時代」に終止符が打たれ、90年代後半より「健康志向」「本物志向」が高まる時代となりました。その中で宅配を中心としたオリジナルブランド牛乳は良識ある消費者の方々に確実に受け入れられていきました。
そして20世紀の最後2000年6月に「雪印食中毒事件」という決定的な事件が起こるのです。それを境に「トレサビリティー」という生産流通履歴に多くの消費者が目を向け始め、安全、安心、健康、新鮮などを真剣に考えるようになりました。
また、産地偽装事件が相次いで発覚したことにより、消費者が「生産者」をより意識することになったのです。